
2026年現在、F1界で最も注目される日本人がいます。
それが、ハースF1チームを率いる小松礼雄(こまつ あやお)代表です。
単身イギリスに渡った18歳の青年が、どのようにしてF1チーム代表という頂点に登り詰めたのか。
そのキャリアを紐解きながら、私自身の感想も交えて詳しくお伝えしていきます。
小松礼雄代表とは?プロフィールと現在
小松礼雄氏は1976年1月28日、東京都立川市生まれの日本人F1エンジニアです。
2024年1月10日にハースF1チームの代表に就任し、2026年現在も同職を務めています。
父親はベートーヴェン研究家の小松雄一郎氏という、音楽一家に生まれながら、モータースポーツの世界に飛び込んだ異色の経歴の持ち主です。
現在、TGRハースF1チーム(TOYOTA GAZOO Racingとの協力関係により、2026年からチーム名に「TGR」を冠しています)を率いており、エステバン・オコン選手とオリバー・ベアマン選手という新しいドライバーラインナップで戦っています。
単身渡英:18歳の決断が人生を変えた
小松氏のキャリアで最も印象的なのは、その始まり方です。
高校卒業後、F1エンジニアになるという夢を抱いて、18歳で単身イギリスに渡りました。
これ、本当にすごいことだと思うんです。
1994年当時、インターネットもSNSもない時代に、何のコネもない状態で異国の地に飛び込む勇気。
ロンドンの英語学校で学んだ後、1995年にラフバラ大学自動車工学部に入学します。
この大学選びも戦略的で、ラフバラ大学はモータースポーツエンジニアリングで有名な大学でした。
在学中の1997年にはロータス・エンジニアリングで実習を経験し、着実にF1への階段を上っていったんですね。
個人的には、この時期の小松氏の行動力と計画性に強く心を打たれます。
夢を追うだけでなく、具体的なステップを踏んで実現していく姿勢は、多くの若者の手本になると思います。
BARホンダ時代(2003年~):F1キャリアのスタート
1999年にラフバラ大学を優秀な成績で卒業した小松氏は、奨学金を得て大学院に進学。
より実践的なエンジニアリングを学び、修了後の2003年、ついにBARホンダでF1エンジニアとしてのキャリアをスタートさせます。
この時、小松氏は27歳。
タイヤエンジニアとしてキャリアをスタートさせました。
当時のBARホンダは佐藤琢磨選手やジェンソン・バトン選手が在籍していた時期で、日本人として日本メーカーのチームで働けるという点でも意義深いスタートでした。
タイヤエンジニアとしての仕事で頭角を現し、その実力はすぐに認められることになります。
ルノーF1時代(2006年~2015年):世界王者チームで磨かれた実力
2005年、タイトルを獲得したばかりの名門ルノーF1チームから誘われ、小松氏は移籍します。
チャンピオンチームが、他チームの若手エンジニアをスカウトするということは、その実力が業界内で高く評価されていた証拠です。
ルノーでは最初はテストチームのタイヤエンジニアからスタートし、2007年にレースチームに昇格。2006年にはパフォーマンスエンジニアとして働き、徐々にキャリアを積み上げていきました。
そして2011年、運命的な出会いが訪れます。
後にロータスF1チームと名を変えたチームで、ロマン・グロージャン選手の担当レースエンジニアになったのです。
グロージャンとの師弟関係:問題児を育て上げた手腕
グロージャン選手は当時「問題児」として知られていました。
感情的で、ミスも多く、チーム内でも扱いが難しいドライバーだったんです。
でも小松氏は、彼の才能を見抜き、粘り強くコミュニケーションを取り続けました。
その結果、2012年にグロージャン選手は10回の表彰台を獲得。
2013年のカナダGPでは2位表彰台を獲得するなど、トップドライバーへと成長しました。
この時の経験が、小松氏のマネジメント能力の基礎になったと私は感じています。
だけでなく、人間関係構築能力の高さが際立っていますよね。
グロージャン選手自身も、小松氏のことを「自分を育ててくれた恩人」として今でも慕っており、二人の関係は師弟を超えた絆で結ばれています。
ハースF1時代(2016年~2023年):新興チームの中核として
2016年、F1に新規参入するハースF1チームの創設メンバーとして、小松氏はチーフレースエンジニアに就任します。
新興チームながら、初年度から着実に成績を残していくハースにおいて、小松氏の存在は中核でした。
グロージャン選手もハースに移籍してきたため、再びタッグを組むことに。
2018年にはチーフレースエンジニアに昇格し、チーム全体の戦略を統括する立場になります。
この時期の小松氏について、私が特に印象深いのは、インタビューで語っていた「2023年のバクーで辞めようと思った」というエピソードです。
チームの意思決定の遅さや、改善が進まない状況にフラストレーションを感じていたそうです。
でも、チームのメンバーに対する責任感から、できることを全てやり切ってから判断しようと決めたんですね。
この誠実さ、プロフェッショナリズム、そして強い責任感が、後に代表就任につながっていくんです。
チーム代表就任(2024年1月):日本人初の快挙
2024年1月10日、小松氏は長年チームを率いたギュンター・シュタイナー氏の後任として、ハースF1チームの代表に就任しました。
日本人がF1チームの代表に就くのは、実に15年ぶりの快挙でした。
就任の経緯は、オーナーのジーン・ハース氏が2023年シーズンのチームパフォーマンスに失望し、組織改革が必要だと判断したことにあります。
小松氏は就任前から、チームの問題点を明確に把握し、改善案も持っていました。
就任時のインタビューで小松氏はこう語っています:
「このチームってすごく能力のある人たちが随所にいるんです。だからいいチームになれるいい要素はいっぱいあるんです。それをつなげていく、その人たちが本当に能力を発揮できる環境を作っていく、っていうのが僕の仕事で、これはすごく楽しい作業です。」
この言葉に、小松氏のリーダーシップの本質が表れていると思います。
トップダウンで命令するのではなく、メンバーの能力を最大限引き出す環境を作る。
これこそ、現代的なリーダーシップの形ですよね。
代表就任1年目(2024年):驚異的なチーム再建
2024年シーズン、小松代表率いるハースは目標の8位には届かなかったものの、前年最下位(10位)から7位へと大きくジャンプアップしました。
ニコ・ヒュルケンベルグ選手とケビン・マグヌッセン選手のベテランコンビが安定したポイント獲得を重ね、特にヒュルケンベルグ選手はアブダビGPで驚異的な予選4位を記録しています。
初年度でチームを最下位から7位に押し上げたこの実績は、小松氏のマネジメント能力の高さを証明しています。
F1界でも「ベストチームプリンシパル」として評価する声が上がりました。
2025年シーズン:トヨタとの協力関係強化
2025年、ハースはTOYOTA GAZOO Racingとの協力関係を正式に発表し、開発面での連携を強化しました。
ドライバーはエステバン・オコン選手とオリバー・ベアマン選手という新しい顔ぶれに刷新。
開幕戦オーストラリアGPでは苦戦したものの、シーズン中盤から持ち直し、10月のメキシコGPでは小松代表がチーム参戦200戦目という節目を迎えました。
シーズンを通じて見ると、2024年のような劇的な躍進はなかったものの、トヨタとの協力関係の基礎を固め、将来への投資を行った1年だったと言えます。
2026年シーズン:新レギュレーションへの挑戦
そして2026年。
F1は大きなレギュレーション変更を迎えました。
パワーユニットとシャシーが大きく刷新され、全チームがゼロからのスタートとなる重要な年です。
1月19日、TGRハースF1チームは2026年型マシン『VF-26』をオンラインで発表。
小松代表は「開幕戦仕様はローンチカーとは別物になる」とコメントしており、バルセロナでのシェイクダウンに向けて全力で取り組んでいることを明かしています。
2026年1月28日現在、シェイクダウンテストが始まっており、ハースは初日に最多周回を記録するなど、順調なスタートを切っています。
小松代表も「安定した走行をポジティブに捉えている」とコメントしており、新レギュレーション時代への期待が高まっています。
個人的には、この新レギュレーション時代こそ、小松代表の真価が問われる時だと感じています。
小規模チームであるハースにとって、全チームが同じスタートラインに立つこの機会は千載一遇のチャンス。
トヨタとの協力関係も本格化する中、どこまで上位に食い込めるかが見どころです。
小松礼雄の仕事哲学:「やってみればいいじゃん!」
小松氏のインタビューで最も印象的だったのは、この言葉です。
「日本人で初めてだとかってあんまり僕の中ではないんですけれども、逆によく鈴鹿とかでファンの人とかに『私もレースが好きなんですけど、できると思いますか?』って聞かれるんですけど、いつも言ってることは同じで、『それはやってみなきゃ分かんないから、やってみればいいじゃん』って。結果なんか気にしたってしょうがないから。」
「中学や高校でもとてもいい生徒とは言い難かったこんな僕でも、F1に憧れて勝手に18歳でイギリスに飛んで行った結果、代表になれるんだっていう事実があって、それがその人たちにとっての元気っていうか勇気になってくれればいいなと。バリアなんてないんだっていうことを認識してくれればいいなと思うんですよね。」
この考え方、本当に素晴らしいと思います。
多くの人が「自分には無理」「日本人だから」「経験がないから」と、やる前から言い訳を作ってしまう。
でも小松氏は、まず挑戦することの大切さを体現しています。
小松代表の人間性:究極の負けず嫌いと謙虚さの両立
カメラマンの熱田護氏は、小松氏のことを「究極の負けず嫌い」と評しています。
レース後に悔しさで嗚咽が止まらなくなることもあるそうです。
でも同時に、チームメンバーへの敬意と謙虚さも持ち合わせている。
趣味は意外にも登山で、鈴鹿で外岩に登ることもあるとか。
子供からは「歌を禁じられている」というユーモラスな一面も。
こうした人間味あふれるエピソードが、小松氏の魅力をさらに引き立てています。
小松礼雄代表が重んじる「向き合う力」
日本経済新聞のインタビューで、小松氏は「向き合う力」の重要性を語っています。問題から目を背けず、正面から向き合い、解決策を見出していく。グロージャン選手との関係構築も、チーム改革も、全てこの姿勢が基盤にあります。
F1という過酷な世界で20年以上生き抜いてきた小松氏だからこそ、この言葉には重みがあります。 技術だけでなく、人間関係、チームマネジメント、全てにおいて「向き合う」ことで道を切り開いてきた人生そのものが、若い世代へのメッセージになっていると感じます。
まとめ:小松礼雄という生き方から学ぶこと
小松礼雄氏のキャリアを振り返ると、いくつかの重要な教訓が見えてきます。
- 明確な目標と具体的な行動計画:18歳での渡英は、単なる夢追いではなく、戦略的な決断でした。
- 一つひとつのポジションで全力を尽くす:タイヤエンジニアからスタートし、各段階で実績を積み上げました。
- 人間関係を大切にする:グロージャン選手との関係に象徴される、人を育てる力。
- 問題と向き合う勇気:不満があっても逃げず、改善のために行動する姿勢。
- 挑戦を恐れない心:「やってみればいいじゃん」という前向きな哲学。
2026年、新レギュレーション時代を迎えたF1で、小松代表率いるTGRハースF1チームがどんな活躍を見せるのか。
本当に楽しみでなりません。
日本人として、いや、一人の人間として、小松礼雄という生き方には大きな勇気をもらえます。
夢を追うこと、努力を続けること、人を大切にすること。当たり前のようで実践が難しいこれらのことを、彼は体現し続けています。
これからも小松代表とハースF1チームを、心から応援していきたいと思います!